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東京高等裁判所 昭和36年(行ナ)116号 判決 1963年5月30日

原告 北振化学工業株式会社

被告 ゼネラル株式会社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一請求の趣旨および原因

原告訴訟代理人は、特許庁が昭和三四年審判第五七三号事件について昭和三六年七月二〇日にした審決を取り消す、訴訟費用は被告の負担とする、との判決を求め、請求の原因として次のとおり主張した。

一、被告(当時の商号東洋化工株式会社)は、昭和三四年一〇月二七日、原告を被請求人として、特許庁に対し、実用新案出願公告昭三四―一三一〇一号(出願昭三一―四九二九五号)の図面及び説明書記載の複写紙は登録第三八八二〇九号実用新案の権利範囲に属する、との実用新案権利範囲確認審判を請求し、昭和三四年審判第五七三号として審理された結果、昭和三六年七月二〇日、「(イ)号図面及びその説明書(実公昭三四―一三一〇一号)に示す複写紙は登録第三八八二〇九号実用新案の権利範囲に属する。訴訟費用は被請求人の負担とする。」との審決がされ、同年同月二九日、その謄本が原告に送達された。

二、右審決は、その理由において、まず、登録第三八八二〇九号実用新案(前者)の考案要旨が「片面複写紙(1)の裏面の全面に天然又は人造樹脂の溶液を塗布して薄き皮膜(2)を形成した複写紙の構造」にあり、これに対して、(イ)号図面及び説明書(実公昭三四―一三一〇一号)(後者)に示されたものは「片面に普通のカーボンインクを加工した複写紙(1)の反対面に単一又は調合香料を溶解吸収せしめた油脂及びポリエチレンの混合層(2)を形成した複写紙の構造」にあることを認定したうえ、両者を比較して、

(1)  後者は表面にインキ層を設け、裏面にインキ層を設けないカーボンペーパーであるから、片面複写紙である点において、前者と一致し、

(2)  前者は片面複写紙の裏面の全面に天然又は人造樹脂の溶液を塗布して薄い皮膜を形成せしめた構造を有しているのに対し、後者は片面複写紙の裏面にポリエチレンを含有した皮膜を形成せしめた構造を有している点で相違しているが、このポリエチレンは皮膜形成物質として人造樹脂の範疇にはいるものと認められるから、後者は前者における片面複写紙の裏面に人造樹脂の皮膜を形成せしめた点の構造を具え、裏面に塗料層を形成することによつて、原紙の捲縮を防止する効果においても、両者は一致し、

(3)  後者の原紙裏面に層着する合成樹脂に香料を溶解吸収せしめた油脂を混入した点は、前者の考案要旨以外の点であり、

従つて、全体として、後者はたとえ前記(3)の点において前者と相違する構造及び効果を有するとしても、(1)及び(2)の点において前者の要旨とする構造を悉く具備していることになるから、後者即ち(イ)号図面及び説明書に示す実公昭三四―一三一〇一号は前者即ち登録第三八八二〇九号実用新案の権利範囲に属するものとする。

としたものである。

三、審決は、次の理由により違法であつて、取り消さるべきである。

(一)  (イ)号図面及びその説明書に示す実公昭三四―一三一〇一号のもの(以下甲と称す。)は、片面複写紙(1)の裏面に単一香料又は調合香料を溶解吸収させた油脂及びポリエチレンの混合層(2)を形成させたものであつて、香料の良好な吸収剤たる油脂に香料を溶解吸収させ、これと混合するにポリエチレンをもつてしたことは、(イ)号のものの考案構成の必須要件である。これは、ポリエチレンが天然あるいは他の人造樹脂と異り、油脂との相溶性が非常に大であることおよびポリエチレンは有機溶剤を使用するまでもなく、加熱により溶解するため、有機溶剤を使用して溶解する他の樹脂では香料が有機溶剤に分散溶解され、層着後乾燥する際に溶剤と共に揮散してしまい、その目的を果し得ないところを解決でき、香料の発散を長期にわたらしめ得るからである。

したがつて、甲の片面複写紙(1)の裏面の層(2)はポリエチレンと香料を溶解吸収した油脂との混合層である。

これに対して、本件登録実用新案(以下乙と称す。)の考案要旨は、片面複写紙(1)の裏面全面に天然又は人造樹脂を溶液として塗布し、薄き膜(2)を形成させたもので、その説明書中には樹脂溶液の実施の一例として、錯酸ビニール、ニトロセルローズ、錯酸エチール(溶剤)、トリクレジールホスフエート(可塑剤)の混合物をあげ、なお天然樹脂としてはダンマル、コーパルの類を、また人造樹脂としては塩化ビニール、アクリル酸樹脂等が用いられることを述べており、これからみれば、乙は一般樹脂の皮膜(2)を片面複写紙(1)の裏面に形成したものである。

(二)  したがつて、審決が、甲の片面複写紙の裏面の層(2)がポリエチレンを含んでいることをとらえ、片面複写紙の裏面に人造樹脂の皮膜を形成せしめた点の構造をそなえ、この層によつて原紙の捲縮を防止する効果において乙と一致するから、甲は乙の権利範囲に属するとしたのは、両者の層の相違の重大性を看過したというのほかない。

前述したように、甲の裏面層は香料含有油脂とポリエチレンとの混合層であるのに、乙のそれは一般樹脂の単一層である。

しかも、甲において使用するポリエチレンは、昭和三〇年ごろ国内に輸入されてはじめて知られたもので、昭和二四年六月に出願され、昭和二六年に登録された乙の出願当時は想到だにせられなかつたものである。その上甲において特にポリエチレンを用いたのは、油脂との相溶性および香料の保有性を考慮しなければならなかつたからであつて、とうてい他の樹脂ではこれを解決することができなかつたのである。

甲の目的とするところは、香料をよく含滲せしめ、しかも長期にわたり保有させることにあり、この目的を達成するがためには香料を吸収溶解させた油脂およびポリエチレンの混合物を片面複写紙の裏面に層着することによる以外にはなく、したがつて甲における香料含有油脂とポリエチレンとは不可分一体の関係にあり、これを分離して考慮すべきものではない。

してみれば、甲は、原紙のカールを防止するため片面複写紙(1)の裏面に一般樹脂を溶液として塗布し、薄き樹脂の皮膜(2)を形成した乙とは、その構成を全く異にし、効果においても甚大なる差異がある。

(三)  要するに、審決は、本件登録実用新案の「天然又は人造樹脂の溶液を塗布して薄き皮膜(2)を形成した」という字句に幻惑されて、これに拘泥し、甲の香料含有油脂とポリエチレンとの一体不可分の関係にあることを無視し、しかもポリエチレンは乙の出願当時実在しないものであつたのみならず、一般の天然又は人造樹脂と区別して取り扱われている事実をも無視して、両者の差異を誤解したものである。

四、被告の主張に対して、次のように答える。

(一)  被告のポリエチレンも人造樹脂の中に含まれる、との見解は、誤解にもとづくものである。

合成樹脂(人造樹脂)とは、有機高分子物質で、分子量が一〇、〇〇〇以上のものを指称し、一般に低分子量のもの、例えばフエノール樹脂、尿素樹脂でも熱硬化によつて高分子に移行するものは合成樹脂と称せられている。しかるに、甲の使用しているポリエチレンは、低重合ポリエチレン(A・Cポリエチレン)であつて、その分子量が一、五〇〇ないし二、〇〇〇のものであるから、当然低分子量であり、熱硬化性もない。高分子量のものには熔融点と沸点がないが、低分子量のものには熔融点も沸点もあり、さらに合成樹脂のように皮膜とならない。常態で蝋状又はグリース状をなし、水蒸気以外の他の気体の透気体が非常に大である。かように低分子量ポリエチレンは合成樹脂と物理的化学的性状をいちじるしく異にし、合成樹脂の類似物でもない。

甲に使用される低重合ポリエチレンは、以上の性状を利用して、香料含有油脂の混合層を強力に構成し、香料の長期発散を有効ならしめたものであつて、乙の単にカールを防止するだけを目的としたものとは、ただに構造のみならず、作用効果においても根本的に異なるのである。

(二)  昭和三五年八月一日、日本工業標準調査会で審議の結果制定されたJIS K六九〇〇―一九六〇「プラスチツク用語」によれば、その一四頁の「合成樹脂」の項に、「合成によつて作られたプラスチツクのことをいい、略して樹脂ということもある。これは熱硬化性樹脂および熱可塑性樹脂に大別される。」と記載され、四二頁の「プラスチツク」の項に、「可塑性を有する高分子物質をいうが、合成繊維および合成ゴムを除外するのが普通である。」と、また、一五頁の「高分子」の項に「分子量一万以上のような大きな化合物をいう。一般に特定な化学構造の反覆繰り返しによつて分子量が大きくなつて高分子となる。高分子は、天然高分子と合成高分子に分けられる。」とそれぞれ記載されている。

以上のJIS規格の記載からみても、本件の低分子ポリエチレンは分子量およびその性状からみて、JIS規格による合成樹脂に相当しないことが明らかである。

(三)  ポリエチレンが日本において工業化された時期について、被告は一九四五年すなわち昭和二〇年と主張するが、ポリエチレンは昭和二六年にはじめてわが国に輸入され、昭和三三年に三井石油化学、住友化学その他によつて工業化されたものである。また、A・Cポリエチレンを日本で最初に、しかも独占的にこれを輸入したのは東洋綿花株式会社であり、その時期は昭和三一年一月ごろであつて、それがわが国で工業化されたのは、昭和三三年ごろである。したがつて、乙の登録出願時には国内に周知ではなかつたのである。

五、甲において使用するポリエチレンは低分子ポリエチレンであつて、そのことは「登録請求の範囲」の項に記載されてなくとも、科学常識上明白である。

登録実用新案の技術的範囲は、説明書中の「登録請求の範囲」の項の記載を基準とすべきこと、もちろんであるが、その記載が簡略に過ぎ、考案の技術的思想の確定に困難を生ずる場合がある。その場合には、「考案の詳細な説明」の項の記載を判断の資料とすることはもとより、その登録出願当時の技術水準、さらに出願の経過を通じて表示された出願者の意図ならびに特許庁の登録附与に対する意思解釈をも考慮して判断することは当然許されることである。

したがつて、被告において、甲の「登録請求の範囲」の項に記載されたもののみがその技術範囲で、「実用新案の説明」の項に記載された内容やその他の資料を考慮すべきでない、とするがごときは、誤れるもはなはだしいというべきである。

六、よつて、右審決の取消を求める。

第二被告の答弁

被告訴訟代理人は、主文どおりの判決を求め、次のとおり答弁した。

一、原告主張の請求原因事実中、被告の本件確認審判請求から審決の謄本送達にいたるまでの事実およびその審決の理由が原告の主張するとおりのものであることは認めるが、原告が右審決が違法であるとして主張する諸点については争う。

二、(一) 本件登録第三八八二〇九号実用新案(乙)の要旨は、その登録請求の範囲に示すように、「片面複写紙(1)の裏面の全面に、天然又は人造樹脂の溶液を塗布して薄き皮膜(2)を形成した複写紙の構造」であり、このうち人造樹脂とは、合成して人為的に造つた一切の樹脂類似物質を指すもので、当然ポリエチレンもその中に含まれることは、顕著な事実である。

原告は、(イ)号図面およびその説明書に示す、実公昭三四―一三一〇一号(甲)のポリエチレン人造樹脂と香料含有の油脂との混合層(2)を片面複写紙(1)の裏面に形成させた複写紙は、乙の複写紙とその構成において全く相違する、と主張するが、右主張は換言すると、ポリエチレンの大量(一〇〇Kg)に対し香料含有の油脂を少量(二〇Kg)(この分量は甲の実用新案公報の記載による。)を混合したものは、ポリエチレン人造樹脂ではなくて、全然それ以外の物質になつたとするものと判断される。

しかし、この主張は大なる不合理である。香料含有油脂少量をその五倍のポリエチレンに混合したからとて、皮膜層形成物質としてのポリエチレンの性能、作用は失われるものではなく、これを紙面に塗布すれば、やはりポリエチレンの皮膜層が形成され、紙のカールは防止されること、甲の実用新案公報に「カールの欠点を除き」と記載されていることによるも明白である。

結局甲の複写紙は、乙の技術的範囲である「片面複写紙の裏面に人造樹脂の皮膜を形成した複写紙」をそのまま利用したものであるから、乙の権利範囲に属するものといわなくてはならない。

(二) 原告は、香料を吸収させた油脂をポリエチレンに混合したものを紙面に塗着すると、その香料は長期にわたり保有させることができるから、香料含有油脂とポリエチレンとは不可分一体の関係にある、と主張するが、被告はそのようなことは知らない。仮にそのような効果が生じたとしたとしても、前項で述べたように、ポリエチレン人造樹脂を使用しないことにはならない。それは「ポリエチレン+x」で、やはりポリエチレンを使用して、それにxを附加したに過ぎない。

(三) 原告は、ポリエチレンは昭和三〇年ごろ輸入されてはじめて知られたもので、乙の出願当時は想到だにされなかつた、と主張するが、ポリエチレンは西暦一八五三年米国人Hoatt氏により研究され、一九四一年工業化され、日本においても一九四五年すなわち昭和二〇年に工業化されたものであることは、学術界および有識の業者間に悉知されて顕著な事実であるから、原告の右のごとき主張は、調査研究の不足に出たものといわなくてはならない。

三、(一) 原告は、低重合ポリエチレンは合成樹脂にあらず、と主張するが、由来ポリエチレンとは、エチレンの人工重合物(POLYMER)すなわち人工によりエチレンを重合したものの総称であつて、その中には高重合(高分子)ポリエチレンと低重合(低分子)ポリエチレンとがあるが、そのいずれもエチレンを合成、人造により重合したもので、ポリエチレンである。そして、ポリエチレンは人造により合成された樹脂様物質であつて、これが人造又は合成樹脂とよばれていることは、学界および当業者間に顕著な事実である。

低分子量のA・Cポリエチレンも、その名の示すごとく、ポリエチレンで、人造樹脂に属する。

甲の実用新案公報(甲第二号証)にも、「ポリニチレンは他の合成樹脂類と異なり」および「尚ポリエチレンは低重合ポリエチレンを使用した方がよい。」と記載され、また、「本案は合成樹脂につき香料含有油脂との相溶性、香料の保留性、膜性、加工性等につき実験したところ下表の結果を得た。」として、ポリエチレンをその他の合成樹脂類と並記した表を示してある。これによれば、原告もポリエチレン、特に低重合ポリエチレンも合成(人造)樹脂であることを自認しているものというべきである。

(二) 原告は、乙の登録出願当時ポリエチレンは国内に周知ではなかつた、というが、特許又は実用新案の発明又は考案の構成要件に使用する物質中には、現存する物およびその物と同類する未知の(将来解決し得べき)物をも一括包含して抽象的に表示し得ることは、当然であつて、例えば酸類と表示すれば、硫酸、硝酸、その他既知および未知の酸類を含み、電話開閉用スイツチと表示すれば現存するスイツチも将来できるであろうスイツチも含ませ得るのと同様に、乙にも亦人造樹脂と表示されてあるから、既知の人造樹脂も、またポリエチレン人造樹脂をも含むのは当然で、決して不合理ではない。

しかも、甲の出願の昭和二四年六月以前、ポリエチレンは国内において公然と知られ、実物も輸入され、その実物について学者や化学関係業者で種々研究されていたばかりでなく、当時すでに工業化も行われていたことが明らかであつて、そのことは化学工業会社であり、多数の技術研究員より成る技術部をも有する原告会社も当然熟知しているところと信ずる。

四、登録実用新案の技術的思想の確定に関する原告の主張については、被告も強いてこれに反対しないが、元来乙の登録請求の範囲は「片面複写紙1の裏面の全面に天然又は人造樹脂の溶液を塗布して薄き皮膜2を形成した複写紙の構造」と記載され、考案の技術的思想は、その記載により一読明瞭で、なんらの疑義はないばかりでなく、原告の右所論を尊重して、甲の公報説明書全体を精読しても、ポリエチレン、特に原告が使用していると主張する低重合ポリエチレンも亦、合成(人造)樹脂であることを、出願人自ら出願当時において表明していること、被告のさきに指摘したとおりであるから、出願当時の出願人の意図がポリエチレンならびに低重合ポリエチレンを合成(人造)樹脂であるとするにあつたことは明白であり、これを否定する原告の主張こそ誤つているといわなくてはならない。

五、以上のとおり、本件審決には、なんらこれを取り消すべき理由がない。

第三証拠<省略>

理由

一、原告主張のとおり、被告の登録第三八八二〇九号実用新案権利範囲確認審判請求(昭和三四年審判第五七三号)について、原告主張の日に、(イ)号図面及び説明書(実公昭三四―一三一〇一号)に示す複写紙は前記登録実用新案の権利範囲に属する、との審決があり、その謄本が原告主張の日原告に送達されたことおよびその審決の理由が原告主張のとおりのものであることについては、当事者間に争がない。

二、本件登録第三八八二〇九号実用新案(原告のいわゆる乙)の権利範囲は、「片面複写紙1の裏面の全面に天然又は人造樹脂の溶液を塗布して薄き皮膜2を形成した複写紙の構造」である点に存し、その作用効果は、従来タイプライター用の片面複写紙の裏面になんらの処理が施されなかつたので、紙質の極薄と相まつて周辺より反曲(カール)し、処理上不便が多かつたが、本案の複写紙においては裏面の全面に薄い皮膜2を形成したので、その反曲する欠点が消失し、あわせて紙質を強靱とし不透明とすることができるのみならず、裏面の滑りを良好にし、取扱はもちろん、用紙間への装脱もきわめて円滑軽快としたものであることが、成立に争のない甲第一号証(右実用新案公報)および本件口頭弁論の全趣旨に徴して明白である。

一方、本件権利範囲確認審判における(イ)号図面およびその説明書に示す複写紙(原告のいわゆる甲)は、実用新案出願公告昭三四―一三一〇一号の図面及び説明書記載の複写紙にほかならないが、成立に争のない甲第二号証(右公報)によれば、右複写紙は、「片面に普通のカーボンインクを加工した複写紙1の反対面に単一又は調合香料を溶解吸収せしめた油脂及びポリエチレンの混合層を形成せしめた」ものであり、かつ、右複写紙を使用した場合の作用効果としては、該説明書中「片面に普通のカーボンインクを加工した複写紙1の反対面に単一又は調合香料を溶解吸収せしめた油脂及びポリエチレンの混合層2を形成せしめたものであるから上記香料によつて複写紙特有の悪臭を除き然も使用された香料の香気は原紙のみならず印字された書類からも長期発散されるので爽快に事務を処理することが出来る。又低重合ポリエチレンは冬季でも柔軟性を有しているので打字した場合活字の喰込みがよく鮮明な字劃を与え又非常に薄く加工することが出来るのでカールの欠点を除き且つスリツプの虞れや折曲げたり揉んだりしても皺を生ずることなく且つ多数の枚数を複写することが出来る等幾多の優れた効果を有するものである。」との記載があることを認めることができる。

原告は、甲において使用するポリエチレンは低分子ポリエチレンである、と主張するが、甲すなわち本件権利範囲確認審判における(イ)号図面及びその説明書には、実用新案出願公告昭和三四―一三一〇一号公報の図面及び説明書がそのまま用いられており、前記甲第二号証の右公報の説明書をみると、その登録請求の範囲には、単に「ポリエチレン」と記載し、その説明中に「尚ポリエチレンは低重合ポリエチレンを使用した方がよい。」と、また、「ポリエチレンは非常に安定な高級炭化水素であるから使用香料の変質を起さず、特に低重合ポリエチレンの場合は加工後完全なる硬化をしない為め香料の発散に適切である。」と述べ、次に、その製法を低重合ポリエチレンを使用した例につき説明し、さらに、前記に摘録したとおり、まず概括的に複写紙1の反対面に単一又は調合香料を溶解吸収せしめた油脂及びポリエチレンの混合層2を形成せしめたものの作用効果を述べたのち、特に右ポリエチレンに低重合ポリエチレンを用いた場合の効果につき説明を加えていることが、明らかであつて、これらの記載をあわせ考えると、本件確認審判の対象である複写紙に用いられるポリエチレンは、特に低重合(低分子)ポリエチレンと限定されてはいないので、説明書中低重合ポリエチレンに言及してあるのは、推奨さるべき一例として、ポリエチレンには低重合ポリエチレンを用いた方がよい、ということを言つたに過ぎず、仮に高分子ポリエチレンを用いたとしても、右対象物件の範囲から逸脱するものでない、と解するのが相当である。

そこで、甲乙両者の複写紙を比較するのに、両者はいずれもタイプライター等に用いられる片面複写紙である点において共通しているが、その構造において、乙は裏面の全面に天然又は人造樹脂の溶液を塗布して薄い皮膜を形成せしめた、のに対して、甲は裏面に単一又は調合香料を溶解吸収せしめた油脂およびポリエチレンの混合層を形成せしめたものである点において相違しており、したがつてその作用効果においても、甲は複写紙裏面に形成された皮膜に含まれた香料によつて悪臭を除き、かつ原紙のみならず印字された書類からも長期にわたつて香気を発散させる、という、乙の有しない利点を有するものといわなくてはならない。

三、甲の「単一又は調合香料を溶解吸収せしめた油脂及ポリエチレンの混合層」が乙の「天然又は人造樹脂の溶液を塗布して形成した薄き皮膜」と同一でないことは、いうまでもない。そこで、甲の複写紙に右のような特殊の層を形成した点が、乙の複写紙における人造樹脂の皮膜を形成した構造を利用したものといい得るかどうかが、本件における争点である。

原告は、甲におけるポリエチレンは乙の人造樹脂の範疇にはいる、とした審決の見解をもつて、誤解にもとづくものである、と主張する。

しかし、一般に人造樹脂(合成樹脂、プラスチツクというも同じ。)とは、人為的に合成して造つた樹脂様物質のいいで、エチレンを重合して得られる化合物であるポリエチレンも人造樹脂に含まれることは、成立に争のない乙第一号証の二(東洋経済新報社発行、無機有機工業材料便覧)中、プラスチツクの項に、ポリエチレンを掲げてあることによつても明らかであるばかりでなく、甲の実用新案公報である前記甲第二号証中に、「本案は合成樹脂類につき香料含有油脂との相溶性、香料の保留性、膜性、加工性等につき実験したところ、下表の結果を得た。」として、ポリエチレンを塩化ビニール、酢酸ビニールその他の合成樹脂類と併記して比較した実験成績の表をかかげ、「即ち前述のようにポリエチレンは他の合成樹脂類と異なり、香料含有油脂との相溶性が非常に大で、その被膜は薄く加工でき、柔軟で、耐屈撓性があり、長期間香料を保有している。」と結んでいることをみても、甲の複写紙の実用新案出願人である原告会社も、ポリエチレンが合成(人造)樹脂の一種であることを認識していたものといわなくてはならない。

そして、成立に争のない甲第五号証の二(高分子学会発行の雑誌「高分子」七巻七八号の記事)、乙第四号証の二(平凡社発行の工業大事典一七巻の記事)をあわせ考えると、ポリエチレンはかなり広い分子量分布をもつており、一般に広く使われているのは、二〇、〇〇〇から一五〇、〇〇〇の分子量のものであるが、分子量一、〇〇〇から一二、〇〇〇くらいまでの低分子のものもあることが明らかであつて、ポリエチレンには高分子のものと低分子のものとがあるが、低分子のものもポリエチレンであり、したがつて合成樹脂に属するものといわなくてはならない。前記乙第一号証の二によれば、元来天然樹脂は低分子化合物で、今日でも塗料などに使用されているが、初期に登場した合成高分子の外見が天然樹脂に酷似し、用途も塗料に向けられたものがあつたので、合成樹脂の名が生れた、というのであるから、ひとり高分子ポリエチレンばかりでなく、低分子ポリエチレンであつても、これを合成(人造)樹脂とよぶのに、なんらのさまたげがないというべきである。

成立に争のない甲第九号証の二(日本工業標準調査会制定、JISプラスチツク用語の記事)も、前記甲第五号証の二、乙第四号証の二の各記事等とあわせ考えると、通常のプラスチツクは高分子物質であることを示すに過ぎないものと認めるのが相当で、これをもつて前記認定をくつがえすに足りない。

原告は、ポリエチレンは乙の実用新案登録出願当時未知の物質であつたから、乙の人造樹脂中には含まれない、と主張する。しかし、成立に争のない乙第二号証の二(松尾秀郎著、ポリエチレンの記事)によれば、わが国では戦時中昭和一七年米軍の撃墜機よりレーダーにポリエチレンの使用されていることが確認され、軍部より試作研究の命令が数研究所、大学等に伝達され、ポリエチレン研究の協同態勢ができ、昭和一九年には日本にもすでにポリエチレンの製造研究が一応完成され、これにより製造工場も日本窒素水俟工場に出来、生産が行われたことを認めることができ、さらに成立に争のない同第三号証の二、三(桜田一郎著、高分子化学概論)によれば、昭和二三年四月発行にかかる同書にすでにポリエチレンに関して相当詳細に記述されていることを認めることができるから、乙の出願時であること、前記甲第一号証の公報により明らかな昭和二四年六月一四日当時、ポリエチレンはすでにわが国において、周知の材料であり、工業化といえるかどうかは別として、一応製造研究も完成し、生産も行われていたことを認めるのに十分である。成立に争のない甲第七、八号証の各二(雑誌「高分子」九巻一〇五号および無機有機工業材料便覧の各記事)をもつてしても、右認定をくつがえすに足りない。

そして、低分子ポリエチレンについては、甲のポリエチレンが必ずしも低分子ポリエチレンに限定されていないことは、前に認定したとおりであるばかりでなく、たとえその出現が多少遅れたとしても、それが合成樹脂の範疇に属する以上、乙のいわゆる合成樹脂中には低分子ポリエチレンも含まれるものと解しなければならない。

四、甲において使用される被膜層は、ポリエチレンを本質的な成分とするものであることは、前記甲第二号証の記載中特にその配合量の点などにより明らかであつて、これを片面複写紙の裏面に形成することによつてカールの欠点を除き、かつスリツプの虞れや、折曲げたり揉んだりしても皺を生ずることがない、という効果を所期したものであること、前認定のとおりであるから、甲は、片面複写紙の裏面の全面(甲においては全面であることを明記してないが、全面であることは、甲第二号証の説明中、作用効果を述べてあるところよりして、推知するにかたくない。)に天然又は人造樹脂の溶液を塗布して薄き皮膜を形成し、もつて複写紙のカール(反曲)する欠点を消失させ、あわせて紙質を強靱とし、取扱を利便にするの効果をおさめんとする乙の考案を利用するものといわなくてはならない。もちろん、甲は乙の考案以外の点、すなわちその被膜層に単一又は調合香料を溶解吸収させた油脂を混入してあることによつて、さらに複写紙の臭気を除き、原紙のみならず、印字された書類からも香気を長期発散させ、爽快に事務を処理することができる、という特有の効果を期待しており、また特に低重合ポリエチレンを使用するときは、その各効果を一層よく発揮させることができるというのであるが、これら改良の点は、甲が乙の考案を利用したものであることとは関係がないというべきである。

原告は、甲における香料を吸収させた油脂とポリエチレンとの混合層は、不可分一体のものである、と主張するが、成立に争のない甲第六号証(タイプ原紙の製造法にかかる特許公報)によつても、右の主張を確認するに足りず、その他これを認むべき証拠がない。

五、本件確認審判の対象物件である甲の複写紙は、乙の実用新案の考案を利用したものであるから、前者は後者の権利範囲に属するものというべく、これと同旨の本件審決にはなんらの違法の点がない。

よつて、右審決の取消を求める原告の請求は理由のないものと認め、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 関根小郷 入山実 荒木秀一)

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